去(い)ぬる延暦(えんりやく)二十一年正月十九日、高雄山(たかおさん)に桓武(かんむ)皇帝行幸(みゆき)なりて、六宗七大寺の碩徳善議(せきとくぜんぎ)・勝猷(しようゆう)・奉基(ほうき)・寵忍(ちようにん)・賢玉(けんぎよく)・安福(あんぷく)・勤操(ごんそう)・修円(しゆえん)・慈誥(じこう)・玄耀(げんよう)・歳光(さいこう)・道証(どうしよう)・光証(こうしよう)・観敏(かんびん)等の十有余人、最澄法師と召し合せられて宗論(しゆうろん)ありしに、或は一言(いちごん)に舌を巻(まき)て二言三言に及ばず、皆一同に頭(こうべ)をかたぶけ、手をあざ(叉)う。
三論の二蔵・三時・三転法輪(さんてんぼうりん)、法相(ほつそう)の三時・五性(ごしよう)、華厳宗の四教・五教・根本枝末(こんぽんしまつ)・六相十玄(ろくそうじゆうげん)、皆大綱(たいこう)をやぶらる。例せば大屋(おおいえ)の棟梁(むなぎうつばり)のをれたるがごとし。十大徳の慢幢(まんどう)も倒れにき。
その時、天子大(おおい)に驚かせ給ひて、同じき二十九日に弘世(ひろよ)・国道(くにみち)の両吏(りようり)を勅使(ちよくし)として、重ねて七寺六宗に仰せ下されしかば、各々帰伏の状を載(のせ)て云く、〔「窃(ひそか)に天台の玄疏(げんじよ)を見れば、惣じて釈迦一代の教を括(くく)りて、悉くその趣(おもむき)を顕(あらわ)すに通ぜざるところなく、独(ひと)り諸宗に逾(こ)え殊(こと)に一道を示す。その中の所説甚深(しよせつじんじん)の妙理なり。七箇の大寺、六宗の学生(がくしよう)、昔よりいまだ聞かざるところ、かつていまだ見ざるところなり。三論・法相久年(くねん)の諍(あらそ)い、渙焉(かんえん)として氷のごとく釈(と)け、照然(しようねん)としてすでに明かなること、なお雲霧(うんむ)を披(ひら)いて三光(さんこう)を見るがごとし。聖徳(しようとく)の弘化(ぐけ)より以降(このかた)、今に二百余年の間、講ずるところの経論、その数多し。彼此理(ひしり)を争(あらそ)いて、その疑いいまだ解(と)けず。しかるにこの最妙の円宗(えんしゆう)、なおいまだ闡揚(せんよう)せず。蓋(けだ)しもつてこの間の群生(ぐんじよう)、いまだ円味(えんみ)に応(かな)わざるか。伏(ふ)して惟(おもんみ)れば、聖朝(せいちよう)久しく如来の付(ふ)を受け、深く純円の機を結び、一妙の義理始めてすなわち興顕(こうけん)し、六宗の学者初めて至極(しごく)を悟る。謂つべし、此界(このかい)の含霊(がんれい)、今より後は悉く妙円の船に載せ、早く彼岸(ひがん)に済(わた)ることを得ん。乃至(ないし)、善議等、牽(ひ)かれて休運(きゆううん)に逢い、すなわち奇詞(きし)を閲(けみ)す。深期(じんご)にあらざるよりは何ぞ聖世(せいせ)彼に託(たく)せんや」〕等と云云。