ただしいかやうにかき候べきぞ。天台宗はにくき宗なり。諸宗は我(われ)も我もとあらそいをなせども、一切に叶(かな)はざる事一つあり。
いわゆる法華経の序分に無量義経と申す経をもつて、前(ぜん)四十余年の経々をば、その門を打(うち)ふさぎ候ぬ。法華経の法師品(ほつしほん)・神力品(じんりきほん)をもつて後(のち)の経々をば、またふせがせぬ。肩をならぶ経々をば今説(こんせつ)の文をもつてせめ候。
大日経をば三説の中にはいづくにかをき候べき、と問ひければ、その時に善無畏三蔵大(おおい)に巧(たくら)んで云く、大日経に住心品(じゆうしんほん)という品(ほん)あり。無量義経の四十余年の経々を打はらうがごとし。大日経の入漫陀羅已下(にゆうまんだらいげ)の諸品は、漢土にては法華経・大日経とて二本なれども、天竺にては一経のごとし。
釈迦仏(しやかぶつ)は舎利弗(しやりほつ)・弥勒(みろく)に向つて大日経を法華経となづけて、印と真言とをすててただ理計(りばか)りをとけるを、羅什(らじゆう)三蔵これをわたす。天台大師これを見る。
大日如来、法華経を大日経となづけて金剛薩埵に向つてとかせ給ふ。これを大日経となづく。我(われ)まのあたり天竺にしてこれを見る。されば汝がかくべきやうは、大日経と法華経とをば水と乳とのやうに一味となすべし。もししからば、大日経は已今当(いこんとう)の三説をば皆法華経のごとくうちをとすべし。