さて印と真言とは、心法の一念三千に荘厳(しようごん)するならば、三密相応(さんみつそうおう)の秘法なるべし。三密相応する程ならば天台宗は意密なり。
真言は甲(こう)なる将軍の、甲鎧(よろい)を帯して弓箭(ゆみや)を横たへ、太刀を腰にはけるがごとし。
天台宗は意密計りなれば、甲なる将軍の赤裸(あかはだか)なるがごとくならん、といゐければ、一行阿闍梨はこのやうにかきけり。
漢土三百六十箇国にはこの事を知る人なかりけるかのあひだ、始には勝劣を諍論(じようろん)しけれども、善無畏等は人がら重し、天台宗の人々は軽かりけり。
また天台大師ほどの智ある者もなかりければ、ただ日々に真言宗になりてさてやみにけり。年ひさしくなれば、いよいよ真言の誑惑(おうわく)の根ふかくかくれて候ひけり。