日本国の伝教大師、漢土にわたりて天台宗をわたし給ふついでに、真言宗をならひわたす。天台宗を日本の皇帝にさづけ、真言宗を六宗の大徳にならわせ給ふ。
ただし六宗と天台宗の勝劣は入唐(につとう)以前に定めさせ給ふ。
入唐已後には円頓(えんどん)の戒場(かいじよう)を立てう立てじの論か、計(はか)りなかりけるかのあひだ、敵多くしては戒場の一事成(じよう)じがたしとやをぼしめしけん。また末法にせめさせんとやをぼしけん。
皇帝の御前(ごぜん)にしても論ぜさせ給はず。弟子等にもはかばかしくかたらせ給はず。
ただし依憑集(えびようしゆう)と申す一巻の秘書あり。七宗の人々の天台に落(おち)たるやうをかゝれて候文(ふみ)なり。かの文の序に真言宗の誑惑一筆(おうわくひとふで)みへて候。