撰時抄

弘法(こうぼう)大師は同じき延暦(えんりやく)年中に御入唐(ごにつとう)、青竜寺(せいりゆうじ)の恵果(けいか)に値(あ)ひ給ひて真言宗をならわせ給へり。

御帰朝の後、一代の勝劣を判じ給ひけるには、第一真言・第二華厳・第三法華とかかれて候。

この大師は世間の人々はもつてのほかに重んずる人なり。

ただし仏法のことは、事(こと)は申すにをそれあれども、もつてのほかにあらき(荒量)事どもはんべり。この事をあらあらかんがへたるに、漢土にわたらせ給ひては、ただ真言の事相(じそう)の印・真言計り習ひつたえて、その義理(ぎり)をばくはしくもさはぐらせ給はざりけるほどに、日本にわたりて後、大(おおい)に世間を見れば、天台宗もつてのほかにかさみたりければ、我(わ)が重んずる真言宗ひろめがたかりけるかのゆへに、本(もと)日本国にして習ひたりし華厳宗をとりいだして、法華経にまされるよしを申しけり。

それも常の華厳宗に申すやうに申すならば、人(ひと)信ずまじとやをぼしめしけん。すこしいろをかえて、これは大日経、竜猛(りゆうみよう)菩薩の菩提心論(ぼだいしんろん)、善無畏等の実義なりと大妄語をひきそへたりけれども、天台宗の人々いたうとがめ申す事なし。