撰時抄

問うて云く、弘法大師の十住心論(じゆうじゆうしんろん)・秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)・二教論(にきようろん)に云く、〔「かくのごとき乗々(じようじよう)、自乗(じじよう)に名を得れども、後(のち)に望めば戯論(けろん)と作(な)す」〕。また云く、〔「無明(むみよう)の辺域(へんいき)にして、明(みよう)の分位(ぶんい)にあらず」〕。また云く、〔第四熟蘇味(じゆくそみ)なり」〕。また云く、〔「震旦(しんたん)の人師(にんし)等、諍(あらそ)いて醍醐(だいご)を盗みて、各(おのおの)自宗に名(なづ)く」〕等と云云。これらの釈の心如何(いかん)。

答へて云く、予(よ)、この釈にをどろいて、一切経並に大日の三部経等をひらきみるに、華厳経と大日経とに対すれば法華経は戯論(けろん)、六波羅蜜(ろくはらみつ)経に対すれば盗人、守護(しゆご)経に対すれば無明(むみよう)の辺域(へんいき)と申す経文は一字一句も候わず。

この事はいとはかなき事なれども、この三、四百余年に日本国のそこばくの智者どもの用(もち)ひさせ給へば、定めてゆへあるかとをもひぬべし。しばらくいとやすきひが(僻)事をばあげて、余事のはかなき事をしらすべし。