撰時抄

漢土の三階禅師(さんがいぜんじ)云く、教主釈尊の法華経は第一、第二階の正(しよう)・像(ぞう)の法門なり。末代のためには我(わ)がつくれる普経(ふきよう)なり。法華経を今の世(よ)に行ぜん者は、十方(じつぽう)の大阿鼻獄(だいあびごく)に堕(お)つべし。末法の根機にあたらざるゆへなりと申して、六時(ろくじ)の礼懺(らいさん)、四時(しじ)の坐禅(ざぜん)、生身仏(しようしんぶつ)のごとくなりしかば、人多く尊(たつと)みて弟子万余人ありしかども、わづかの小女の法華経をよみしにせめられて、当坐(とうざ)には音(こえ)を失ひ、後には大蛇になりて、そこばくの檀那・弟子並に小女(しようによ)・処女(しよによ)等をのみ食ひしなり。

今の善導・法然等が「千中無一(せんちゆうむいち)」の悪義もこれにて候なり。これらの三つの大事はすでに久(ひさし)くなり候へば、いやしむべきにはあらねども、申さば信ずる人もやありなん。

これよりも百千万億倍信じがたき最大の悪事はんべり。