撰時抄

この疏の肝心の釈に云く、〔「教(きよう)に二種あり。

一は顕示教(けんじきよう)、謂(いわ)く三乗教なり。世俗(せぞく)と勝義(しようぎ)といまだ円融(えんゆう)せざるが故に。二は秘密教、謂く一乗教なり。世俗と勝義と一体にして融するが故に。秘密教の中にまた二種あり。一には理秘密(りひみつ)の教、諸(もろもろ)の華厳・般若・維摩・法華・涅槃等なり。ただ世俗と勝義との不二(ふに)を説きて、いまだ真言・密印(みついん)の事(じ)を説かざるが故に。

二には事理倶密(じりくみつ)の教、謂(いわ)く大日経・金剛頂経・蘇悉地経等なり。また世俗(せぞく)と勝義(しようぎ)との不二を説き、また真言・密印の事(じ)を説くが故に」〕等と云云。

釈の心は、法華経と真言の三部との勝劣を定めさせ給ふに、真言の三部経と法華経とは、所詮(しよせん)の理(り)は同じく一念三千の法門なり。

しかれども密印と真言等の事法(じほう)は、法華経はかけてをはせず。法華経は理秘密、真言の三部経は事理倶密なれば、天地雲泥(てんちうんでい)なりとかかれたり。しかも、この筆は私の釈にはあらず。善無畏三蔵の大日経の疏の心なりとをぼせども、なをなを二宗の勝劣不審にやありけん。はたまた他人の疑をさんぜんとやをぼしけん。