撰時抄

大師〈慈覚なり〉の伝に云く、〔「大師二経の疏(じよ)を造り、功(こう)を成(な)し已畢(おわ)りて、心中に独り謂(おもえ)らく、この疏仏意(じよぶつい)に通ずるや否(いな)や。もし仏意に通ぜざれば、世に流伝せず。仍(よつ)て仏像の前に安置(あんち)し、七日七夜深誠(しんじよう)を翹企(ぎようき)し、祈請(きしよう)を勤修(ごんしゆ)す。五日の五更(ごこう)に至つて夢みらく、正午(しようご)に当りて日輪を仰ぎ見て、弓をもつてこれを射るに、その箭(や)日輪に当(あた)りて、日輪すなわち転動(てんどう)すと。夢覚(さ)めての後、深く仏意に通達(つうだつ)せりと悟り、後世(こうせい)に伝ふべし」〕等と云云。

慈覚大師は本朝(ほんちよう)にしては伝教・弘法の両家(りようけ)を習ひきわめ、異朝(いちよう)にしては八大徳並に南天(なんてん)の宝月(ほうがつ)三蔵等に、十年が間最大事の秘法をきわめさせ給へる上、二経の疏(じよ)をつくり了(おわ)り、重ねて本尊に祈請をなすに、智慧の矢すでに中道の日輪にあたりてうちをどろかせ給ひ、歓喜のあまりに仁明(にんみよう)天皇に宣旨(せんじ)を申しそへさせ給ひ、天台座主(ざす)を真言の官主(かんず)となし、真言の鎮護国家の三部とて、今に四百余年が間、碩学稲麻(せきがくとうま)のごとし、渇仰竹葦(かつごうちくい)に同じ。

されば桓武(かんむ)・伝教(でんぎよう)等の日本国建立(こんりゆう)の寺塔は、一宇もなく真言の寺となりぬ。公家(くげ)も武家(ぶけ)も一同に真言師を召して師匠とあをぎ、官をなし寺をあづけたぶ。

仏事の木画(もくえ)の開眼供養(かいげんくよう)は、八宗一同に大日仏眼の印・真言なり。