撰時抄

今現証(いまげんしよう)あるべし。日本国と蒙古国との合戦に、一切の真言師の調伏(じようぶく)を行(おこな)ひ候へば、日本かちて候ならば、真言はいみじかりけりとをもひ候ひなん。

ただし承久(じようきゆう)の合戦にそこばくの真言師のいのり候ひしが、調伏せられ給ひし権(ごん)の大夫(たいふ)殿はかたせ給ひ、後鳥羽院(ごとばいん)は隠岐(おき)の国へ、御子(みこ)の天子は佐渡(さど)の嶋々へ調伏(じようぶく)しやりまいらせ候ぬ。結句は野干(やかん)のなき(鳴)の己(おの)が身にをうなるやうに、「還著於本人(げんじやくおほんにん)」の経文にすこしもたがわず。

叡山の三千人かまくらにせめられて、一同にしたがいはてぬ。しかるにまたかまくら、日本を失はんといのるかと申すなり。

これをよくよくしる人は一閻浮提一人(いちえんぶだいいちにん)の智人(ちにん)となるべし。よくよくしるべきか。今はかまくらの世さかんなるゆへに、東寺・天台・薗城(おんじよう)・七寺の真言師等と、並びに自立(じりゆう)をわすれたる法華宗の謗法の人々、関東にをちくだりて、頭(こうべ)をかたぶけ、ひざをかがめ、やうやうに武士の心をとりて、諸寺・諸山の別当となり、長吏(ちようり)となりて、王位を失ひし悪法をとりいだして、国土安穏(こくどあんのん)といのれば、将軍家(しようぐんけ)並びに所従(しよじゆう)の侍已下(さむらいいげ)は、国土の安穏なるべき事なんめりとうちをもいてあるほどに、法華経を失ふ大禍(たいか)の僧どもを用ひらるれば、国定めてほろびなん。