亡国のかなしさ、亡身のなげかしさに、身命(しんみよう)をすてゝこの事をあらわすべし。国主世(よ)を持(たも)つべきならば、あやしとをもひて、たづぬべきところに、ただざんげんのことばのみ用ひて、やうやうのあだをなす。
しかるに法華経守護の梵天(ぼんでん)・帝釈(たいしやく)・日月・四天・地神等は、古(いにしえ)の謗法をば不思議とはをぼせども、これをしれる人なければ、一子の悪事のごとくうちゆるして、いつわりをろかなる時もあり、またすこしつみしらする時もあり。
今は謗法(ほうぼう)を用ひたるだに不思議なるに、まれまれ諫暁(かんぎよう)する人をかへりてあだをなす。一日二日・一月二月・一年二年ならず数年に及ぶ。かの不軽(ふきよう)菩薩の杖木(じようもく)の難に値(あ)ひしにもすぐれ、覚徳比丘(かくとくびく)の殺害(せつがい)に及びしにもこえたり。
しかる間、梵(ぼん)・釈(しやく)の二王・日月・四天・衆星(しゆせい)・地神等やうやうにいかり、度々(たびたび)いさめられるれども、いよいよあだをなすゆへに、天の御計(おんはから)ひとして、隣国(りんごく)の聖人(せいじん)にをほせつけられてこれをいましめ、大鬼神(だいきじん)を国に入れて人の心をたぼらかし、自界反逆(じかいほんぎやく)せしむ。
吉凶につけて瑞(きざし)大なれば難(なん)多かるべきことわりにて、仏滅後二千二百三十余年が間、いまだいでざる大長星、いまだふらざる大地しん出来(しゆつたい)せり。