撰時抄

文(もん)の心は、悪比丘等国に充満して、国王・太子・王子等をたぼらかして、破仏法・破国の因縁をとかば、その国の王等、この人にたぼらかされてをぼすやう、この法こそ持(じ)仏法の因縁・持国の因縁とをもひ、この言(ことば)ををさめて行(おこなう)ならば日月に変あり、大風と大雨と大火等出来(しゆつたい)し、次には内賊と申して親類より大兵乱(ひようらん)をこり、我がかたうどしぬべき者をば皆打(うち)失ひて、後(のち)には他国にせめられて、或は自殺し、或はいけどりにせられ、或は降人(こうにん)となるべし。これ偏(ひとえ)に仏法をほろぼし、国をほろぼす故なり。

守護(しゆご)経に云く、〔「彼(か)の釈迦牟尼如来の所有(しよう)の教法は、一切の天魔・外道(げどう)・悪人・五通(つう)の神仙(しんせん)も、皆乃至(ないし)少分をも破壊(はえ)せず。しかるに、この名相(みようそう)ある諸の悪沙門、皆悉く毀滅(きめつ)して、余りあることなからしめん。須弥山(しゆみせん)をたとい三千界の中の草木を尽して薪(たきぎ)となし、長時に焚焼(ふんしよう)すとも一毫(ごう)も損ずることなきに、もし劫火(ごうか)起り、火内(うち)より生じ、須臾(しゆゆ)に焼滅(しようめつ)して、灰燼(かいじん)を余すことなきがごとし」〕等と云云。

蓮華面経(れんげめんきよう)に云く、〔「仏、阿難(あなん)に告げたまわく、譬えば師子の命終せんに、もしは空、もしは地、もしは水、もしは陸、所有(しよう)の衆生(しゆじよう)、あえて師子の宍(にく)を食(くら)わず。ただ師子自(みずか)ら諸の虫を生じて、自ら師子の宍を食うがごとし。阿難、我が仏法は余の能(よ)く壊(やぶ)るにあらず。これ我が法の中の諸の悪比丘、我が三大阿僧祇劫(あそうぎこう)に積行(しやくぎよう)し勤苦(ごんく)し集むる所の仏法を破らん」〕等と云云。