経文の心は、過去の迦葉仏(かしようぶつ)、釈迦如来の末法の事(こと)を訖哩枳王(きりきおう)にかたらせ給ひ、釈迦如来の仏法をばいかなるものがうしなうべき。大族王の五天の堂舎を焼払い、十六大国の僧尼を殺せし、漢土の武宗(ぶそう)皇帝の九国の寺塔四千六百余所を消滅せしめ、僧尼二十六万五百人を還俗せし等のごとくなる悪人等は、釈迦の仏法をば失ふべからず。三衣(さんね)を身にまとひ、一鉢(いつぱつ)を頸(くび)にかけ、八万法蔵を胸にうかべ、十二部経を口にずう(誦)せん僧侶が、彼(か)の仏法を失うべし。
譬へば須弥山(しゆみせん)は金(こがね)の山なり。三千大千世界の草木をもつて四天・六欲に充満してつみこめて、一年二年百千万億年が間やくとも、一分(ぶん)も損ずべからず。しかるを劫火(ごうか)をこらん時、須弥の根(ね)より豆計(ばか)りの火いでて須弥山をやくのみならず、三千大千世界をやき失うべし。
もし仏記(ぶつき)のごとくならば、十宗・八宗・内典(ないてん)の僧等が、仏教の須弥山(しゆみせん)をば焼き払うべきにや。小乗の倶舎(くしや)・成実(じようじつ)・律(りつ)僧等が大乗をそねむ胸の瞋恚(しんに)は炎(ほのお)なり。
真言の善無畏等・禅宗の三階(さんがい)等・浄土の善導等は、仏教の師子の肉より出来(しゆつたい)せる蝗虫(こうちゆう)の比丘なり。
伝教大師は三論・法相(ほつそう)・華厳等の日本の碩(せき)徳等を六虫とかかせ給へり。