撰時抄

この三つの大事は、日蓮が申したるにはあらず。ただ偏(ひとえ)に釈迦如来の御神(みたましい)我が身に入りかわせ給ひけるにや。我が身ながらも悦び身にあまる。法華経の一念三千と申す大事の法門はこれなり。

経に云く、「所謂諸法如是相」と申すは何事ぞ。十如是の始の相如是(そうによぜ)が第一の大事にて候へば、仏は世にいでさせ給ふ。「智人(ちにん)は起(き)をしる、蛇(じや)はみづから蛇をしる」とはこれなり。衆流(しゆる)あつまりて大海となる。微塵(みじん)つもりて須弥山(しゆみせん)となれり。

日蓮が法華経を信じ始しは、日本国には一渧(たい)一微塵(みじん)のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、妙覚(みようかく)の須弥山ともなり、大涅槃(だいねはん)の大海ともなるべし。

仏になる道はこれよりほかにまたもとむる事なかれ。