撰時抄

日蓮が身には今生にはさせる失(とが)なし。ただ国をたすけんがため、生国(しようこく)の恩をほうぜんと申せしを、御用(おんもち)ひなからんこそ本意にあらざるに、あまさへ(剰)召し出(いだ)して、法華経の第五の巻を懐中(かいちゆう)せるをとりいだして、さんざんとさいなみ、結局はこうぢ(小路)をわたしなんどせしかば、申したりしなり。

日月、天に処(しよ)し給ひながら、日蓮が大難にあうを今度かわらせ給はずは、一には日蓮が法華経の行者ならざるか、忽に邪見をあらたむべし。

もし日蓮法華経の行者ならば、忽に国にしるしを見せ給へ。もししからずば、今の日月等は釈迦・多宝・十方の仏をたぶらかし奉る大妄語の人なり。提婆(だいば)が虚誑罪(こおうざい)、倶伽利(くぎやり)が大妄語にも百千万億倍すぎさせ給へる大妄語の天なりと、声をあげて申せしかば、忽に出来(しゆつたい)せる自界叛逆難(じかいほんぎやくなん)なり。

されば国土いたくみだれば、我が身はいうにかひなき凡夫なれども、御経(おんきよう)を持(たも)ちまいらせ候分斉(ぶんざい)は、当世(とうせい)には日本第一の大人(だいにん)なりと申すなり。