彼(か)の人々は、或(あるい)は彼(か)の経々にしばらく人を入れて法華経へうつさんがためなる人もあり。或は彼(か)の経に著(じやく)をなして法華経へ入(い)らぬ人もあり。或は彼(か)の経々に留逗(とどまる)のみならず、彼(か)の経々を深く執(しゆう)するゆへに、法華経を彼の経に劣るという人もあり。
されば今法華経の行者は心うべし。〔「譬えば一切の川流江河(せんるごうが)の諸水の中に海これ第一なるがごとく、法華経を持(たも)つ者もまたかくのごとし」〕。また〔「衆星(しゆせい)の中に月天子(がつてんじ)最もこれ第一なるがごとく、法華経を持つ者もまたかくのごとし」〕等と御心(おんこころ)えあるべし。
当世(とうせい)日本国の智人(ちにん)等は衆星のごとし、日蓮は満月のごとし。
問うて云く、古(いにし)へかくのごとくいえる人ありや。
答えて云く、伝教大師の云く、〔「まさに知るべし、他宗所依(しよえ)の経はいまだ最もこれ第一ならず。そのよく経を持(たも)つ者もまたいまだ第一ならず。天台法華宗は所持(しよじ)の経最もこれ第一なるが故に、よく法華を持つ者もまた衆生(しゆじよう)の中の第一なり。すでに仏説に拠(よ)る、あに自歎(じたん)ならんや」〕等と云云。
それ騏驎(きりん)の尾につけるだに(蜹)の一日に千里を飛ぶといゐ、輪王(りんのう)に随へる劣夫(れっぷ)の須臾(しゆゆ)に四天下(してんげ)をめぐるというをば難ずべしや、疑ふべしや。「あに自歎(じたん)ならんや」の釈は肝(きも)にめひずるか。
もししからば、法華経を経のごとくに持つ人は梵王(ぼんのう)にもすぐれ、帝釈(たいしやく)にもこえたり。修羅(しゆら)を随へば須弥山(しゆみせん)をもにないぬべし。竜をせめつかわば大海をもくみほしぬべし。