我、即ち自ら思惟すらく。若し但(ただ)仏乗(ぶつじょう)を讃(ほ)めば、衆生、苦に没在(もつざい)し是の法を信ずること能わじ。法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜(お)ちなん。我、寧(むし)ろ法を説かずとも疾(と)く涅槃にや入りなん。
尋(つ)いで過去の仏の所行の方便力を念(おも)うに我が今得る所の道も亦三乗と説くべし。
是の思惟を作(な)す時、十方の仏、皆、現じて梵音(ぼんのん)をもって我を慰喩(いゆ)したもう。善哉(よいかな)釈迦文(しゃかもん)、第一の導師、是の無上の法を得たまえども諸の一切の仏に隨って方便力を用いたもう。我等も亦皆、最妙第一の法を得れども諸の衆生類の為に分別して三乗と説く。少智(しょうち)は小法(しょうぼう)を楽(ね)がって自ら作仏せんことを信ぜず。是の故に方便を以て分別して諸果を説く。復、三乗を説くと雖も但菩薩を教えんが為なりと。