舎利弗当に知るべし。我、聖師子(しょうしし)の深浄微妙(じんじょうみみょう)の音(みおしえ)を聞いて喜んで南無仏と称す。
復、是(かく)の如き念を作す。我、濁悪世(じょくあくせ)に出(い)でたり。諸仏の所説の如く、我も亦、隨順して行ぜんと。
是の事を思惟し已って即ち波羅柰(はらない)に趣(おもむ)く。諸法寂滅(しょほうじゃくめつ)の相は言(ことば)を以て宣(の)ぶ可(べ)からず。方便力を以ての故に五比丘の為に説きぬ。是れを転法輪と名づく。便(すなわ)ち涅槃の音(おと)及以(および)阿羅漢(あらかん)、法僧差別(ほうそうしゃべつ)の名(な)あり。久遠劫(くおんごう)より来(このかた)、涅槃の法を讃示(さんじ)して生死の苦、永く尽くすと。我、常に是の如く説きき。