舎利弗当に知るべし。我、仏子等を見るに仏道を志求(しぐ)する者・無量千万億、咸(ことごと)く恭敬(くぎょう)の心を以て皆仏所に来至せり。曽て諸仏に従いたてまつって、方便所説の法を聞けり。我、即ち是の念を作さく。如来、出でたる所以(ゆえん)は仏慧(ぶって)を説かんが為の故なり。今、正(まさ)しく是れ其の時なり。
舎利弗当に知るべし。鈍根小智(どんこんしょうち)の人、著相憍慢(じゃくそうきょうまん)の者は是の法を信ずること能(あた)わず。今、我喜んで畏(おそれ)無し。諸の菩薩の中に於て、正直(しょうじき)に方便を捨てて但(ただ)無上道(むじょうどう)を説く。 菩薩、是の法を聞いて、疑網(ぎもう)、皆、已(すで)に除(のぞ)く。
千二百の羅漢、悉く亦(また)当に作仏すべし。三世諸仏の説法の儀式の如く、我も今、亦是の如く無分別の法を説く。
諸仏、世に興出(こうしゅつ)したもうこと、懸遠(けんのん)にして値遇(ちぐう)すること難(かた)し。正使(たとえ)世に出でたもうとも是の法を説きたもうこと復難し。無量無数劫(むりょうむしゅこう)にも是の法を聞くこと亦難し。能(よ)く是の法を聴く者、 斯の人、亦復(またまた)難(かた)し。譬(たと)えば優曇華(うどんけ)の一切皆、愛楽(あいぎょう)し天・人の希有(けう)にする所として、時々に乃(いま)し一たび出ずるが如し。