方便品第二

爾(そ)の時に大衆の中に、諸の声聞・漏尽(ろじん)の阿羅漢(あらかん)・阿若憍陳如等(あにゃきょうじんにょとう)の千二百人、及び声聞・辟支仏の心を発(おこ)せる比丘・比丘尼・優婆塞(うばそく)・優婆夷(うばい)あり。

各(おのおの)、是(この)の念(ねん)を作(な)さく、今者(いま)、世尊、何(なん)が故(ゆえ)ぞ慇懃(おんごん)に方便を称歎(しょうたん)して、是の言(みこと)を作(な)したもう。仏の得たまえる所の法は甚深にして解り難く、言説(ごんぜつ)したもう所有るは意趣(いしゅ)知り難し。一切の声聞・辟支仏の及ぶこと能(あた)わざる所なり。

仏、一(はじめ)の解脱の義を説きたまいしかば、我等も亦此の法を得て涅槃に到れり。而(しか)るに、今、是の義の所趣を知らず。