法師品第十

薬王、譬(たと)えば人あって渇乏(かつぼう)して水を須(もち)いんとして、彼の高原(こうげん)に於て穿鑿(せんしゃく)して之を求むるに、猶お乾(かわ)ける土を見ては水(みず)尚お遠しと知る。

功(こう)を施(ほどこ)すこと已(や)まずして、転(うた)た湿(うるお)える土を見、遂(つい)に漸(ようや)く泥(どろ)に至(いた)りぬれば、其の心(こころ)決定(けつじょう)して、水必ず近しと知らんが故(ごと)く、菩薩も亦復是の如し。

若し是の法華経を未だ聞かず、未だ解(げ)せず、未だ修習(しゅしゅう)すること能(あた)わずんば、当に知るべし、是の人は阿耨多羅三藐三菩提を去(さ)ること尚お遠し。

若し聞解(もんげ)し思惟(しゆい)し修習することを得ば、必ず阿耨多羅三藐三菩提に近づくことを得たりと知れ。

所以は何ん。一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此の経に属(ぞく)せり。此の経は方便の門を開いて真実の相を示す。

是の法華経の蔵(ぞう)は深固幽遠(じんこゆうおん)にして人の能く到るなし。今(いま)仏、菩薩を教化し成就して、為に開示す。