その時に大荘厳菩薩、復、仏に白(もう)して言(もう)さく、
世尊、世尊の説法不可思議なり。衆生の根性、亦、不可思議なり。法門解脱、亦、不可思議なり。我等、仏の諸説の諸法において、復、疑難(ぎなん)なけれども、而(しか)ももろもろの衆生、迷惑の心を生ぜんがゆえに、重ねて世尊に諮(と)いたてまつる。
如来、得道よりこのかた四十余年、常に衆生の為に、諸法の四相の義・苦の義・空の義・無常無我・無大無小・無生無滅・一相無相・法性法相(ほっしょうほっそう)・本来空寂・不来不去(ふらいふこ)・不出不没(ふしゅつふもつ)を演説したもう。もし聞くことある者は、或いは煖法(なんほう)・頂法(ちょうほう)・世第一法・須陀洹果(しゅだおんか)・斯陀含果(しだごんか)・阿那含果(あなごんか)・阿羅漢果・辟支仏道(ひゃくしぶつどう)を得、菩提心を発(おこ)し、第一地・第二地・第三地に登り、第十地に至りき。
むかし説きたもう所の諸法の義と、今説きたもう所と、なんらの異ることあれば、而も甚深無上大乗無量義経のみ菩薩修行せば必ず疾く無上菩提を成ずることを得んと言(のたも)う。この事(じ)いかん。唯願わくは世尊、一切を慈哀(じあい)して広く衆生の為に、而も之(これ)を分別し、普(あまね)く現在及び未来世に、法を聞くことあらん者をして、余(よ)の疑網(ぎもう)無(な)からしめたまえ。