無量義経説法品第二

ここに仏、大荘厳菩薩に告げたまわく、

善哉(よいかな)、善哉、大善男子、よく如来に是の如き甚深無上大乗微妙(じんじんむじょうだいじょうみみょう)の義を問えり。当に知るべし。汝よく利益(りやく)する所多く、人・天を安楽し、苦の衆生を抜く。真の大慈悲なり。信(とい)、実(まこと)にして虚しからず。この因縁を以て、必ず疾く無上菩提を成することを得ん。亦、一切の今世(こんぜ)・来世の諸有(しょう)の衆生をして、無上菩提を成することを得せしめん。

善男子、我、先に道場・菩提樹の下に端座すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成することを得たり。仏眼(ぶつげん)をもって一切の諸法を観ずるに、宣説(せんぜつ)すべからず。

ゆえはいかん。もろもろの衆生の性欲(しょうよく)不同なることを知れり。性欲(しょうよく)不同なれば種種(しゅじゅ)に法を説きき。種種に法を説くこと、方便力(ほうべんりき)をもってす。四十余年には未だ真実を顕さず。この故に衆生の得道差別(とくどうしゃべつ)して疾く無上菩提を成することを得ず。

善男子、法は譬(たと)えば水のよく垢穢(くえ)を洗うに、もしは井(せい)、もしは池(ち)、もしは江(こう)、もしは河(が)、渓(けい)、渠(こ)・大海(だいかい)、皆悉くよく諸有の垢穢を洗うがごとく、その法水(ほっすい)も亦復(またまた)是の如し。よく衆生のもろもろの煩悩の垢を洗う。

善男子、水の性は是(これ)一(ひとつ)なれども、江・河・井・池・渓・渠・大海、各各(かっかく)別異(べつい)なり。その法性も亦復是の如し。塵労(じんろう)を洗除(せんじょ)すること、等しくして差別(しゃべつ)なけれども、三法・四果・二道不一なり。

善男子、水はともに洗うといえども、而も井は池に非ず、池は江河に非ず、渓渠は海に非ず。如来世雄(にょらいせおう)の法において自在なるがごとく、所説の諸法も亦復是の如し。初・中・後の説、皆よく衆生の煩悩を洗除すれども、而も初は中に非ず、而も中は後に非ず。初・中・後の説、文辞(もんじ)一なりといえども、而も義、各異(かくい)なり。

善男子、我、樹王(じゅおう)を起(た)って波羅奈(はらない)・鹿野園(ろくやおん)の中に詣(いた)って阿若拘隣等(あにゃくりんとう)の五人のために四諦の法輪を転(てん)ぜし時も亦諸法は本(もと)よりこのかた空寂(くうじゃく)なり、代謝(だいしゃ)して住(じゅう)せず、念念(ねんねん)に生滅(しょうめつ)すと説き、中間(なかごろ)ここ及び処処において、もろもろの比丘、並びにもろもろの菩薩の為に、十二因縁・六波羅蜜を弁演(べんねん)し宣説し、亦、諸法は本よりこのかた空寂なり、代謝して住せず、念念に生滅すと説き、今復此(ここ)において大乗無量義経を演説するに、諸法は本よりこのかた空寂なり、代謝して住せず、念念に生滅すと説く。

善男子、この故に初説・中説・後説、文辞、是一なれども而も義別異なり。義異なるがゆえに衆生の解、異なり。解、異なるが故に、得法(とくほう)・得果(とっか)・得道亦異なり。

善男子、初め四諦を説いて声聞(しょうもん)を求むる人の為にせしかども、而(しか)も八億の諸天来下(しょてんらいげ)して法を聴いて、菩提心を発(おこ)し、中(なか)ごろ処処(しょしょ)に於(お)いて甚深の十二因縁を演説して辟支仏(しゃくしぶつ)を求むる人の為にせしかども、而も無量の衆生、菩提心を発し、或いは声聞に住しき。

次に方等(ほうとう)十二部経・摩訶般若(まかはんにゃ)・華厳海空(けごんかいくう)を説いて、菩薩の歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)宣説(せんぜつ)せしかども、而も百千の比丘・万億の人(にん)・天・無量の衆生、須陀洹(しゅだおん)・斯陀含(しだごん)・阿那含(あなごん)・阿羅漢果(あらかんが)・辟支仏の因縁の法の中に住することを得ん。

善男子、この義をもっての故に、故に知る。説は同じけれども而も義は別異なり。義異なるが故に衆生の解異なり。解異なるが故に得法・得果・得道亦異なり。

この故に善男子、我、道を得て初めて起(た)って法を説きしより、今日、大乗無量義経を演説するに至るまで、未だかって苦・空・無常・無我・非真・非假(ひけ)・非大・非小・本来生ぜず、今亦滅せず、一相・無相・法相・法性・不来・不去にして、而ももろもろの衆生、四相を遷(せん)すると説かざるにあらず。

善男子、この義をもっての故に、一切の諸仏は二言有ることなく、よく一音(いちおん)をもって普く衆(もろもろ)の声に応じ、よく一身(いっしん)をもって百千万億那由他無量無数恒河沙(ひゃくせんまんのくむりょうむしゅごうがしゃ)の身を示し、一一の身の中に、又、若干(そこばく)百千万億那由他阿僧祇恒河沙(ひゃくせんまんのくあそぎごうがしゃ)の種種の類形(るいぎょう)を示し、一一の形の中に、又、若干百千万億那由他阿僧祇恒河沙の形を示す。

善男子、是即ち諸仏の不可思議、甚深の境界なり。二乗の知る所に非ず。亦、十地(じゅうじ)の菩薩の及ぶ所に非ず。唯仏と仏のみ、乃(いま)しよく究了(くりょう)したまえり。

善男子、この故に我説く。微妙(みみょう)甚深無上大乗無量義経は文理真正(もんりしんしょう)なり、尊にして過上(かじょう)なし。三世(さんぜ)の諸仏の共に守護したもう所、衆魔外道(しゅうまげどう)の得入(とくにゅう)すること有ることなし。一切の邪見生死(じゃけんしょうじ)に壊敗(えはい)せられず、と。菩薩摩訶薩、もし疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、当に是の如き甚深無上大乗無量義経を修学すべし。