客聊(いささ)か和(やわら)ぎて曰く、いまだ淵底(えんてい)を究めざれども、ほぼその趣(おもむき)を知る。ただし華洛(からく)より柳営(りゆうえい)に至るまで、釈門(しやくもん)に枢楗(すうけん)あり、仏家(ぶつけ)に棟梁(とうりよう)あり。しかれども、いまだ勘状(かんじよう)を進(まい)らせず。上奏(じようそう)に及ばず。汝賤(いや)しき身をもつて、輙(たやす)く莠言(ゆうげん)を吐く。その義余りあり、その理謂(いわれ)なし。
主人の曰く、予(よ)少量たりといえども、忝(かたじけな)くも大乗を学す。蒼蠅(そうよう)、驥尾(きび)に附して万里を渡り、碧羅(へきら)、松頭(しようとう)に懸(かか)りて千尋(せんじん)を延ぶ。弟子一仏(でしいちぶつ)の子と生まれ、諸経の王に事(つか)う。何ぞ仏法の衰微を見て、心情の哀惜(あいせき)を起さざらんや。
その上、涅槃経に云く、「もし善比丘ありて、法を壊る者を見て、置いて呵責(かしやく)し駈遣(くけん)し挙処(こしよ)せずんば、まさに知るべし、この人は仏法の中の怨(あだ)なり。もしよく駈遣し呵責し挙処せば、これ我が弟子、真の声聞(しようもん)なり」と。
余(よ)、善比丘の身たらずとえども、仏法中怨(ぶつぽうちゆうおん)の責(せめ)を遁(のが)れんがために、ただ大綱を撮(と)つてほぼ一端を示す。
その上、去(い)ぬる元仁(げんにん)年中に、延暦(えんりやく)・興福(こうふく)の両寺より、度度奏聞(たびたびそうもん)を経(へ)て、勅宣(ちよくせん)・御教書(みぎようしよ)を申し下(くだ)して、法然の選択(せんちやく)の印板(いんばん)を大講堂に取り上げ、三世の仏恩を報ぜんがために、これを焼失せしめ、法然の墓所においては、感神院(かんじんいん)の犬神人(いぬじにん)に仰せ付けて破却せしむ。その門弟、隆観(りゆうかん)・聖光(しようこう)・成覚(じようがく)・薩生(さつしよう)等は遠国(おんごく)に配流(はいる)せられ、その後いまだ御勘気を許されず。あにいまだ勘状を進(まい)らせずと云わんや。」