若し人、法を説いて千万億無量無数恒沙の衆生をして阿羅漢(あらかん)を得(え)、六神通を具(ぐ)せしめん。是の益(えき)ありと雖も亦(また)未だ難しとせず。我が滅後に於て、若し能く斯の如き経典を奉持(ぶじ)せん。是れ則ち難しとす。
我、仏道を為(え)て無量の土に於て、始(はじめ)より今に至るまで広く諸経を説く。而も其の中に於て此の経第一なり。若し能く持つこと有るは則ち仏身を持つなり。
諸の善男子、我が滅後に於て誰か能く此の経を受持し読誦せん。今、仏前に於て自ら誓言を説け。
此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は、我、即ち歓喜す。諸仏も亦然(またしか)なり。是の如きの人は諸仏の歎めたもう所なり。是れ則ち勇猛(ゆうみょう)なり。是れ則ち精進(しょうじん)なり。是れを戒を持ち、頭陀(ずだ)を行ずる者と名く。則ち為(こ)れ疾(と)く無上の仏道を得たり。能く来世に於て此の経を読み持たんは、是れ真の仏子、淳善(じゅんぜん)の地に住するなり。仏の滅度の後に能く其の義を解せんは、是れ諸の天人・世間の眼(まなこ)なり。恐畏(くい)の世に於て能く須臾(しゅゆ)も説かんは、一切の天人、皆、供養すべし。