譬喩品第三

爾の時に舎利弗、仏に白して言さく、

世尊、我、今復(いままた)疑悔無(ぎけな)し。親(まのあた)り仏前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。是の諸の千二百の心自在なる者、昔、学地(がくち)に住せしに、仏、常に教化して言(のたま)わく、我が法は能く生・老・病・死を離れて涅槃を究竟(くきょう)すと。是の学・無学の人、亦、各(おのおの)自ら我見(がけん)及び有無(うむ)の見等(けんとう)を離れたるを以て涅槃を得たりと謂(おも)えり。而るに今、世尊の前(みまえ)に於て未だ聞かざる所を聞いて、皆、疑惑に墮(だ)せり。善哉(ぜんざい)、世尊、願わくは四衆の為に其の因縁を説いて、疑悔を離れしめたまえ。