譬喩品第三

書き下し文

爾(そ)の時に舎利弗(しゃりほつ)、踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)して即ち起って合掌し、尊顔(そんげん)を瞻仰(せんごう)して仏に白(もう)して言(もう)さく、

今、世尊に従いたてまつりて、此の法音を聞いて、心に踊躍を懐(いだ)き、未曽有(みぞうう)なることを得たり。所以(ゆえ)は何(いか)ん。我、昔、仏に従いたてまつりて是の如き法を聞き、諸(もろもろ)の菩薩の受記作仏(じゅきさぶつ)を見しかども、而(しか)も我等は斯(こ)の事に預(あずか)らず。甚(はなは)だ自ら如来の無量の知見を失えることを感傷(かんしょう)しき。

世尊、我、常に独り山林樹下(せんりんじゅげ)に処(しょ)して、若(も)しは坐(ざ)し若しは行(ぎょう)じて毎(つね)に是の念を作(な)しき、我等(われら)も同じく法性(ほっしょう)に入れり。云何(いかん)ぞ如来、小乗の法を以て済度(さいど)せらると。