舎利弗、彼の長者の諸子等の安穏に火宅を出ずることを得て、無畏(むい)の処に到るを見て、自ら財富無量なることを惟(おも)うて、等しく大車を以て諸子に賜(あた)えるが如く、如来も亦復是の如し。これ一切衆生の父なり。若し無量億千の衆生の仏教の門を以て三界の苦・怖畏(ふい)の険道(けんどう)を出でて、涅槃の楽を得るを見ては、如来、爾(そ)の時に便ち是の念を作さく、我、無量無辺の智慧・力・無畏等の諸仏の法蔵あり。是の諸の衆生は皆是れ我が子なり。等しく大乗を与うべし。人として独り滅度を得ること有らしめじ。皆如来の滅度を以て之を滅度せん。
是の諸の衆生の三界を脱(まのが)れたる者には、悉く諸仏の禅定・解脱等の娯楽の具を与う。皆是れ一相一種にして、聖の称歎したもう所なり。能く浄妙第一(じょうみょうだいいち)の楽を生ず。
舎利弗、彼の長者の初め三車を以て諸子を誘引し、然うして後に但大車の宝物荘厳し、安穏第一なることを与うるに、然も彼の長者、虚妄の咎(とが)無きが如く、如来も亦復是の如し。虚妄有ること無し。初め三乗を説いて衆生を引導し、然うして後に但大乗を以て之を度脱す。何を以ての故に。如来は無量の智慧・力・無所畏・諸法の蔵有って、能く一切衆生に大乗の法を与う。但尽(ただつ)くして能(よ)く受けず。舎利弗、是の因縁を以て当に知るべし、諸仏方便力の故に一仏乗に於て分別して三と説きたもう。