今、作すべき所は唯仏の智慧なり。若し菩薩有らば、是の衆の中に於て能く一心に諸仏の実法を聴け。諸仏世尊は、方便を以てしたもうと雖も、所化の衆生は皆是れ菩薩なり。
若し人、小智にして深く愛欲(あいよく)に著(じゃく)せる。此れ等を為ての故に苦諦(くたい)を説きたもう。衆生の心喜んで未曽有なることを得。仏の説きたもう苦諦は、真実にして異なること無し。若し衆生有って苦の本を知らず。深く苦の因に著して暫(しばら)くも捨つること能わざる。是れ等を為ての故に方便して道を説きたもう。諸苦の所因は貪欲これ本なり。若し貪欲を滅すれば、依止する所無し。諸苦を滅尽するを第三の諦と名く。滅諦(めったい)の為の故に道を修行す。諸の苦縛(くばく)を離るるを解脱を得と名く。是の人、何に於てか而も解脱を得る。但、虚妄を離るるを解脱を為(なす)と名く。其れ実には未だ一切の解脱を得ず。
仏、是の人は未だ実に滅度せずと説きたもう。斯の人未だ無上道を得ざるが故に。我が意にも滅度に至らしめたりと欲(おも)わず。我は為れ法王、法に於て自在なり。衆生を安穏ならしめんが故に世に現ず。
汝、舎利弗、我が此の法印は世間を利益せんと欲するを為(もっ)ての故に説く。所遊の方(ところ)に在って妄(みだ)りに宣伝すること勿れ。若し聞くこと有る者、隨喜し頂受(ちょうじゅ)せんは、当に知るべし是の人は阿鞞跋致(あべいばっち)なり。若し此の経法を信受すること有らん者、是の人は已に曽て過去の仏を見たてまつりて恭敬供養(くぎょうくよう)し亦是の法を聞けるなり。若し人能く汝が所説を信ずること有らんは、則ち為(こ)れ我を見、亦、汝及び比丘僧並びに諸の菩薩を見るなり。
斯の法華経は深智の為に説く。浅識は之を聞いて迷惑して解(わか)らず。一切の声聞及び辟支仏は、此の経の中に於て力及ばざる所なり。