譬喩品第三

爾の時に舎利弗、重ねて此の義を宣(の)べんと欲(ほっ)して、偈(げ)を説いて言(もう)さく

我、是の法音を聞いて、未曽有なる所を得て心に大歓喜を懐き、疑網、皆已(みなすで)に除(のぞ)こりぬ。昔より来(このかた)、仏教を蒙(こうむ)って大乗を失わず。仏の音(みおしえ)は甚だ希有(けう)にして、能(よ)く衆生の悩みを除きたもう。我、已(すで)に漏尽(ろじん)を得れども、聞いて亦(また)憂悩(うのう)を除く。

我、山谷(せんこく)に処し、或(ある)は林樹(りんじゅ)の下(もと)に在(あ)って、若しは坐し、若しは経行(きょうぎょう)して常に是の事を思惟し、嗚呼(うこ)して深く自ら責めき。云何ぞ而(しか)も自ら欺(あざむ)ける。我等も亦仏子にして同じく無漏の法に入れども、未来に無上道を演説すること能(あた)わず。金色三十二(こんじきさんじゅうに)・十力(じゅうりき)・諸の解脱(げだつ)、同じく共に一法の中にして此の事を得ず。八十種の妙好(みょうこう)・十八不共(じゅうはちふぐ)の法、是(かく)の如き等(ら)の功徳、而も我、皆已に失えり。我、独(ひと)り経行せし時、仏、大衆に在(ましま)して名聞十方に満ち、広く衆生を饒益(にょうやく)したもうを見て、自ら惟(おも)わく、此の利を失えり、我、為(こ)れ自ら欺誑(ごおう)せりと。我、常に日夜に、毎(つね)に是の事を思惟して以(もっ)て世尊に問いたてまつらんと欲す。為(さだ)めて失えりや、為めて失わずや。我、常に世尊を見たてまつるに諸の菩薩を称讃したもう。是(これ)を以て日夜に此(かく)の如き事を籌量(ちゅうりょう)しき。