今、仏の音声(みおしえ)を聞きたてまつるに宜(よろ)しきに隨(したが)って法を説きたまえり。無漏は思議(しぎ)し難(がた)し。衆をして道場に至らしむ。
我、本(もと)邪見に著(じゃく)して諸の梵志(ぼんし)の師と為(な)りき。世尊、我が心を知しめして邪を抜き、涅槃を説きたまいしかば、我、悉(ことごと)く邪見(じゃけん)を除(のぞ)いて空法(くうほう)に於(おい)て証を得たり。爾の時に心に自ら謂(おも)いき。滅度(めつど)に至ることを得たりと。
而るに今、乃ち自ら覚(さと)りぬ。是れ実の滅度に非ず。若し作仏(さぶつ)することを得ん時は、三十二相(さんじゅうにそう)を具(ぐ)し、天・人・夜叉衆(やしゃしゅう)・龍神等、恭敬(くぎょう)せん。是の時、乃ち謂(おも)うべし。永(なが)く尽滅(じんめつ)して余(あまり)なしと。
仏、大衆の中に於て、我、当に作仏すべしと説きたもう。是の如き法音を聞きたてまつりて、 疑悔(ぎけ)悉(ことごと)く已に除(のぞこ)りぬ。
初(はじ)め仏の所説を聞いて、心中(しんちゅう)、大(おおい)に驚疑(きょうぎ)しき。将(まさ)に魔の仏と作(な)って我が心を悩乱(のうらん)するに非ずやと。
仏、種々の縁・譬喩を以て巧(たく)みに言説(ごんぜつ)したもう。其の心、安(やす)きこと海の如し。我、聞いて、疑網断(ぎもうだん)じぬ。