この経文の心は眼前なり。青天に大日輪の懸(かかれる)がごとし。白面(はくめん)に壓墨(ほくろ)のあるににたり。しかれども生盲(しようもう)の者と邪眼(じやげん)の者と一眼(いちげん)のものと各謂自師(かくいじし)の者・辺執家(へんしゆうか)の者はみがたし。万難をすてゝ道心あらん者にしるしとどめてみ(見)せん。
西王母(せいおうぼ)がその(園)のもゝ(桃)、輪王出世(りんのうしゆつせ)の優曇華(うどんげ)よりもあいがたく、沛公(はいこう)が高羽(こうう)と八年漢土をあらそいし、頼朝と宗盛(むねもり)が七年秋津嶋(あきつしま)にたゝかひし、修羅(しゆら)と帝釈と金翅鳥(こんじちよう)と竜王と阿耨池(あのくち)に諍(あらそ)えるも、これにはすぐべからずとしるべし。日本国にこの法顕(ほうあらわ)るること二度なり。伝教大師と日蓮となりとしれ。無眼(むげん)のものは疑うべし。力及ぶべからず。この経文は日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を釈迦・多宝・十方の仏来集して定め給うなるべし。