詮するところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命(しんみよう)を期(ご)とせん。身子(しんじ)が六十劫(ろくじつこう)の菩薩の行を退せし、乞眼(こつげん)の婆羅門の責(せめ)を堪えざるゆへ。久遠大通(くおんだいつう)の者の三五(さんご)の塵(じん)をふる、悪知識に値(あう)ゆへなり。善に付け悪につけ法華経をすつる、地獄の業(ごう)なるべし。本(も)と願を立つ。日本国の位(くらい)をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生をご(期)せよ。父母の頸を刎(はねん)、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来(しゆつらい)すとも、智者に我義(わがぎ)やぶられずば用(もち)いじとなり。その外の大難、風の前の塵(ちり)なるべし。我(わ)れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目(がんもく)とならむ、我れ日本の大船(たいせん)とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。