三には大覚(だいがく)世尊。これ一切衆生の大導師(だいどうし)・大眼目(だいがんもく)・大橋梁(だいきようりよう)・大船師(だいせんし)・大福田(だいふくでん)等なり。
外典外道の四聖三仙(しせいさんせん)、その名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫、その名は賢なりといえども実には因果をわきまえざること嬰児(えいじ)のごとし。彼を船として生死の大海(だいかい)をわたるべしや。彼を橋として六道(ろくどう)の巷(ちまた)こゑがたし。我(わが)大師は変易(へんやく)なをわたり給へり。いわんや分段(ぶんだん)の生死をや。元品(がんぽん)の無明の根本(こんぽん)なをかたぶけ給へり。いわんや見思枝葉(けんじしよう)の麤惑(そわく)をや。
この仏陀(ぶつだ)は三十成道より八十御入滅(ごにゆうめつ)にいたるまで、五十年が間(あいだ)一代の聖教(しようぎよう)を説き給へり。一字一句みな真言(しんごん)なり。一文一偈妄語(いちもんいちげもうご)にあらず。外典外道の中(うち)の聖賢の言(ことば)すら、いうことあやまりなし。事(こと)と心(こころ)と相符(あいあ)へり。いわんや仏陀は無量曠劫(むりようこうごう)よりの不妄語(ふもうご)の人。
されば一代五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり。大人(だいにん)の実語(じつご)なるべし。初成道(しよじようどう)の始(はじめ)より泥洹(ないおん)の夕(ゆうべ)にいたるまで、説くところの所説みな真実なり。
ただし仏教に入つて五十余年の経々(きようぎよう)八万法蔵を勘(かんが)えたるに、小乗あり大乗あり、権経(ごんきよう)あり実経(じつきよう)あり、顕教密教(けんぎようみつきよう)、輭語麤語(なんごそご)、実語妄語(じつごもうご)、正見邪見(しようけんじやけん)等の種々の差別(しやべつ)あり。
ただ法華経ばかり教主釈尊の正言(しようごん)なり。三世十方(さんぜじつぽう)の諸仏の真言なり。
大覚世尊は四十余年の年限を指(さし)て、その内(うち)の恒河(ごうが)の諸経を「未顕真実(みけんしんじつ)」、八年の法華(ほつけ)は「要当説真実(ようとうせつしんじつ)」と定(さだ)め給(たまい)しかば、多宝仏大地(たほうぶつだいち)より出現して「皆是真実(かいぜしんじつ)」と証明(しようみよう)す。分身(ふんじん)の諸仏来集(らいしゆう)して長舌(ちようぜつ)を梵天(ぼんてん)に付く。この言赫々(ことばかくかく)たり、明々(めいめい)たり。晴天の日よりもあきらかに、夜中(やちゆう)の満月のごとし。仰(あおい)で信ぜよ。伏(ふし)て懐(おも)ふべし。