開目抄(かいもくしょう)

仏教またかくのごとし。後漢の永平に漢土に仏法わたりて、邪典やぶれて内典(ないでん)立つ。内典に南三(なんさん)・北七(ほくしち)の異執(いしゆう)をこりて蘭菊(らんぎく)なりしかども、陳・隋の智者大師にうちやぶられて、仏法二(ふたた)び群類をすくう。

その後(のち)、法相宗・真言宗天竺よりわたり、華厳宗また出来(しゆつらい)せり。
これらの宗々(しゆうしゆう)の中(うち)に法相宗は一向天台宗に敵(かたき)を成(な)す宗(しゆう)、法門水火なり。しかれども玄奘(げんじよう)三蔵・慈恩大師、委細(いさい)に天台の御釈(おんしやく)を見ける程に、自宗の邪見ひるがへるかのゆへに、自宗をばすてねどもその心天台の帰伏(きぶく)すと見へたり。
華厳宗と真言宗とは本(もと)は権経権宗(ごんきようごんしゆう)なり。善無畏(ぜんむい)三蔵・金剛智(こんごうち)三蔵、天台の一念三千の義を盗みとて自宗の肝心(かんじん)とし、その上に印と真言とを加(くわえ)て超過(ちようか)の心ををこす。
その子細(しさい)をしらぬ学者等(ら)は、天竺より大日経に一念三千の法門ありけりとうちをもう。華厳宗は澄観(ちようかん)が時、華厳経の「心如工画師(しんによくえし)」の文(もん)に天台の一念三千の法門を偸(ぬす)み入れたり。人これをしらず。

日本我朝(わがちよう)には華厳等の六宗(ろくしゆう)、天台真言已前にわたりけり。華厳・三論・法相、諍論(じようろん)水火なりけり。
伝教(でんぎよう)大師この国にいでて、六宗の邪見をやぶるのみならず、真言宗が天台の法華経の理を盗み取(とつ)て自宗の極(ごく)とする事あらはれをはんぬ。伝教大師宗々の人師(にんし)の異執(いしゆう)をすてゝ専(もつぱ)ら経文(きようもん)を前(さき)として責(せめ)させ給(たまい)しかば、六宗の高徳(こうとく)八人・十二人・十四人・三百余人、並びに弘法(こうぼう)大師等(ら)せめをとされて、日本国一人もなく天台宗に帰伏(きぶく)し、南都・東寺(とうじ)・日本一州の山寺(さんじ)みな叡山(えいざん)の末寺(まつじ)となりぬ。また漢土の諸宗の元祖(がんそ)の天台に帰伏して謗法(ほうぼう)の失(とが)をまぬかれたる事もあらはれぬ。

また、その後(のち)やうやく世をとろへ、人の智あさくなるほどに、天台の深義(じんぎ)は習(なら)いうしないぬ。
他宗の執心は強盛(ごうじよう)になるほどに、やうやく六宗七宗に天台宗をとされて、よわりゆくかのゆへに、結句(けつく)は六宗七宗等にもをよばず、いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて、始(はじめ)は檀那(だんな)やうやくかの邪宗にうつる。結句は天台宗の碩徳(せきとく)と仰がるゝ人々みなをちゆきて彼の邪宗をたすく。さるほどに六宗八宗の田畠所領(でんぱたしよりよう)みなたをされ、正法失(しようぼううせ)はてぬ。天照太神(てんしようだいじん)・正八幡(しようはちまん)・山王等諸(さんのうらもろもろ)の守護の諸大善神(ぜんじん)も法味(ほうみ)をなめざるか、国中(こくちゆう)を去り給(たもう)かの故に、悪鬼便(あつきたより)を得て国すでに破れなんとす。