泥沼に咲くものです。
この状況で咲くのが一番美しいのだとか。
泥沼というのは、濁っているという事。様々なものが混じり合っているという事。澄んだ湖とかとは違って、底が見えないのです。不透明なのです。
蓮の花は、この泥沼に根を張り、咲いています。
蓮の花は、私たち一人ひとりのことです。
泥沼とは、この世のあり様をあらわしたものなのです。私たち一人ひとり(蓮の花)にとっては、私でない他の人々も泥沼に含まれます。
逆に他の人から言うと、私という存在は泥沼の中に含まれます。
泥沼は、人間社会のあり様といってもいいでしょう。
蓮の花である私たち個々人は、この泥沼の中に根差し、咲いて(生きて)います。この泥沼以外で生きていけないといってもいいでしょう。
蓮の花が美しいのは、泥沼で咲かざる得ないのに、染まることがないからです。
様々なことが時々刻々起こる泥沼のような私たち人間の社会の中で、他人を羨んだり、妬んだりすることなく、また時流に流されることなく、人としてしっかり真っ当に生きていく。
これが泥沼に染まらないという事でしょう。
蓮の花になるという事でしょう。
お題目信者とは、このような生き方を実現したいと願っていく人々のことを言います。
お題目信仰で、美しい蓮の花(自分)になっていきたいものです。