先祖供養って、どういうもの???

お盆が終わりました。まもなく秋のお彼岸です。

私たち日本人は、ご先祖様を弔うことをとても大切にしてきたと思っています。先祖供養をする期間が春秋の彼岸、お盆と少なくとも年に3回はありますから。

この期間に多くの人はお墓参りをしたり、お寺で法要に参加したり、あるいはお坊さんを家に呼んでお経をあげてもらう人もいるでしょう。

こういうった行動は、素晴らしいことだと思います。ただあくまで儀式(行動)ですから、皆様には「ご先祖様に思いを馳せる」という思い(心)をもって望んでいただきたいと願います。

さて、最近ではこのような儀式が廃れてきているように思います。きっと儀式自体に必要性を感じなくなってきているのでしょう。時勢的にそんな余裕はないという方もいらっしゃることでしょう。自分でやるから儀式など必要ないという方もいらっしゃるでしょう。

先祖供養って、よく考えると難しいです。ご先祖様と私たちは直接かかわることが出来ませんから。ご先祖様、ありがとうと心で感謝すれば供養になるのならば、儀式の必要性も感じられなくなります。本当に難しいです。

当教会の信奉する法華経・お題目の教えでは、私たちは久遠本佛という永遠の命を持つ仏様の今・一時を生きていると信じます。ちょうど私たちの体には無数の細胞があり、この細胞が新陳代謝しながら、体全体を維持しているようなものでしょうか。全体の中の部分。これが私たちの生命と言えるかと思います。

ご先祖様もこのような流れの中で生きたのだと信じます。

子孫もまたしかりです。

そして私たちは生まれ変わるとも信じます。この私が人生を終えると、また新しい人生が始まるのだと。私は、私たちが共に作り上げた世界を引き継いだ子孫たちの世界に生まれ変わるのだと信じたいのです。

こう考えると、私たちの子供・孫などをはじめとした若い世代は、来世の私たちの親となります。アメリカ大陸の原住民(インディアンと呼ばれる)の方々は子供は未来の親と教えたとなにかの本に載っていたと記憶しています。

このように考えていくと、先祖供養とは「私たちの生きるこの世界をより良いものにしていく努力をすること」になるのかなと思います。私たちより若い世代(子孫たち)はご先祖様の生まれ変わった姿と考えられるので、このように信じることも可能かと思います。

ただ世界をよくする努力と言っても自分の身の丈に合い、そして縁があったもので行えばいいのではないかと思うのです。自分の子供を一所懸命育てるのだってこの努力に当たるはずですから。縁があれば、大きなことにもチャレンジすることになるでしょうから。

自分に縁があり、出来るなと思える範囲から、先祖供養をしていきたいものです。

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