人がなくなると、通夜葬儀などの宗教儀式をして、故人を送り出します。
順番は、
- 枕経
- 通夜
- 葬儀
- 四十九日(納骨)
- 一周忌
- 三回忌
- 七回忌
- 十三回忌
- 十七回忌
- 二十一回忌
- ・・・
となります。
当教会では、三回忌と七回忌の間に五回忌を入れてはどうかと有縁の方にはそれとなく伝えています。五回忌は、伝統的な年回忌とはちがうので、あくまでそれとなく、です。
枕経
故人が自分の死を認識するための儀式。この間、故人は自分の体から魂として抜け出している状態。いわゆる幽体離脱状態。
長い間、使っていた自分の体を自分で見ている状態。どうして?どうした?と疑心暗鬼です。
そこで、自分が死んだのだということを理解してもらう必要があります。お経をあげ、遺族が悲しんでいる姿を見る。こういう場面を見ることで、じょじょに自分の死を理解していくのです。
通夜
自分がどうやら死んだと理解した故人は、次の悩みを持ちます。それは自分がいなくなっても大丈夫だろうか?という悩みです。
通夜までの期間、故人は遺族のふるまいを観察します。しっかりできるだろうか?自分がいなくても大丈夫だろうか?と考えながら。
そこで遺族は、もう大丈夫だ。天国に旅立っても大丈夫だから。と故人に見せるようにふるまいます。儀式にまつわる様々な準備をしっかりし、通夜を無事にやり遂げると個人は安心するのです。
葬儀
仏様に死後を導いてもらうため、仏弟子となります。導師は仏様に故人の人柄・業績などを紹介するため、引導を読み上げ、仏弟子としての名前・戒名を授与します。そして仏様に良しなにとお願いします。これが引導を渡すというものです。
このような準備を経て、体を火葬することで、魂が旅立ちをするのです。
四十九日(納骨)
命日から四十九日までを「中陰・中有」といったりします。故人の魂は、自分の人生を振り返るそうです。良いことも悪いことも全て思い出され、深く内省します。そして自分で人生を総括します。
この総括を携え、閻魔大王様の所へ行き、来世を選択します。故人の来世は閻魔大王様が決めるのが一般的に信じられていることですが、私は故人が人生を総括した上で、自分で自分の来世を決めると思っています。ここでの決断は、決して嘘偽りがありません。自分が行くべき来世を自分の今までに照らして、正しく決めるものと思っています。
来世が決まり、魂は今までの自分をリセットして、全てを忘れてしまいます。そして来世の生を始める準備に入ります。
一周忌
四十九日から一周忌までは、十月十日です。胎児が母体にいる期間と同じくらい。そこで私は一周忌は故人が来世の生を始める時、誕生の時と考えています。
おぎゃーと産声を上げる時。このように思い、もっと良い人生を歩みだしますようにとお祈りするものと考えています。
三回忌からの年回忌法要
3,(5)、7回忌は七五三。
13、17回忌は、子供の体から大人へと変化するとき。
21回忌は、成人式。
未熟な命が大人になっていく節目節目が年回忌だと考えます。だから新しく人生を始めた故人が、無事に育ち立派な大人になるようにとお祈りするために年回忌法要をするものと考えています。
21回忌は弔い上げといい、戒名を納め、先祖代々の霊と融合したものとしてお祀りしていきます。
だから21回忌以降をやるやらないは、当教会ではご遺族様のお考えにお任せしています。
弔いは、故人が今生の総括して、そのあと、来世で立派に独り立ちするまで見守っていくつもりで行っていく。これが当教会(私)の考えです。
有縁の方々には、このように伝え、弔いをしています。
こういうものに正解というものはないと思っています。自分が納得し、これなら故人を弔っていける、弔いの意義が理解できるというものを持ってやるのがいいのではないかと思うのです。
あくまで私の考えです。こういう考えもあるのだなと思っていただければと思います。