ちょっと真面目な話

善とか

悪とか

私たちはなにかと相対的に考えがちです。

この世は

相対だらけ…。

だから

対立だらけ…。

争いだらけ…。

しかも

どちらも

自分を正しいと考えます。

悪いと知って

それをやりつづけることは

たいていの人間には

不可能です。

だから

悪をする人はいません。

自分が行ったことを悪とは思わないという意味で!

例え百歩譲って、

悪と知って始めたとしても

どこかで

それをやる正当?な理由を考え、

善とします。

そして相手を悪とします…。

善悪に限らず、相対化してしまうという意味です。

優劣というのも一つの相対化ですね。

相対的に考える以上、

善も悪も立場の違い、

ということになります。

そしてどちらも善なのです。

こちらの善は、あちらの悪。

あちらの善は、こちらの悪。

どちらにも

譲れない正当性(善)

があるのでしょう。

…どうするのがいいのでしょうか?

世界中がつながり、

人々が世界中を旅できるようになった

現代。

人の交流が増えれば、

摩擦も当然大きくなります。

以上のような相対的な考えを有して

摩擦を起こせば…、

想像のできない

大きな対立が生まれるのでしょう。

どうしたらいいのでしょうか???

お釈迦様は

この相対を離れることが悟りだとしたのです。

これを妙というのです。

これは良い

あれは駄目

などと判断することなく、

どうにか活かしていく

精神的な働き。

これが仏様の悟りであり、

妙なのです。

何となく言葉にはできても

実際、どうすればいいの?といわれると

言葉に詰まるのです。

とても実用するには難しい…。

こう思ってしまっています。

でもこれが仏教の最終目標・悟りなのだと信じます。

相対を離れる。

ここを目指さなければ、と思うのです…。

なんだか、うじうじしていますね…。

だから

仏様は

おそらく

凡夫の私におっしゃっているのです…。

「そろそろ、お前も大人になれよ」と。

仏様は

慈悲のあふれる方ですが、

実はとても

厳しい方、

なのかもしれません。

まだまだ

大人になれない

相対を離れられない

凡夫の坊主

もっけ坊主の

私です…。

一緒にお題目を唱えていきましょう。

妙を目指して、

一歩、一歩!!

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