妙とは不可思議なり
天台大師という方のお言葉です。
この世のことは、どうなっていくか分からないというのです。
一寸先は闇
ともいえます。
先が見えない道を歩くのは、難しいものです。
当教会の先代もそうだったのですが…、
目の見えない方は、本当にすごいですね。
お一人で、杖を頼りに外を歩いていたりしますから。
杖が出す音の反響の違いを頼りにしているのだと聞いたことがあります。
私たちの人生も同じ。
先が見えない、
どうなっていくか分からない
こういう世界で生きているのですから、
目の見えない人の杖のようなものが欲しいと思うものです。
仏教では、
絶対的に因果を信じることが
目の見えない方の杖にあたるものと
教えてくれていると、私は考えています。
良いことをすれば、良い結果が。
悪いことをすれば、悪い結果が。
という因果です。
この因果を
仏に成るまで輪廻を繰り返すという
魂のレベルで信じること。
これが先の見えない、不安を解決するためのよりどころとなると
仏教は言っているのだと思っています。
今生の人生だけ見たならば、
この因果、
どうにも、どうにも…、
と思うこともあります。
良いことしなくても、うまくやっている人はいますし、
一生懸命していても、苦しみの中で生きている人もいます。
因果などないともいえるのです。
でも魂のレベルで、
仏に成るまで繰り返す
うまれかわり、
死にかわる
いくつもの人生のレベルで
因果が働いているのだと
信じていくこと。
これが仏教の示す
私たちへの人生の指針だと
思っています。
だから因果は必ず働いているのだ。
いずれ必ず報われるのだ。
と思い、
自分のできる範囲で、
因果の法則を実践し、
良い功徳を積んでいるのだと思って、
安心して、
先の見えないこの世を
生き抜いていきたいものです。
以上書いたことは、
気持ちの持ちようで片付いてしまいますが…、
このような杖も少しは役に立つのではないかと思うのです。
・・・いつもこう思える自分ならいいのですが…、
そうでない自分がいるもの、また事実…。
精進、精進、ですね…。