お酒飲んでいいの?
お肉食べていいの?
と知人から聞かれることがあります。
坊主は、こういうことをしない。
一般的にはこう思われているようです。
否、思ってはいないのでしょうが…。
このことをちょっと書いておきます。
現代にも残っている日本の伝統仏教が広まりだしたのは、
比叡山を開いた伝教大師などからでしょう。
この伝教大師が面白いことを言っています。
これを紹介する前の前提として、
肉やお酒を食べない・飲まないというのは、
仏教の戒律で定められていること。
男のお坊さんには、250の戒律が、
女のお坊さんには500からなる戒律があるとされることを書いておきます。
どの戒律も坊主として修行するために
その心を乱さないようにと
規制されたものです。
例えば、
髪の毛を伸ばさないこと。
髪の毛があると、
どんなヘアスタイルにしようかと
ワクワクしてしまいます。
こうなると修行に打ち込めないからと
規制したのです。
ここで先ほど出てきた伝教大師のお言葉です。
この方は、今の時代でこれらの戒律を完ぺきに守っている僧など一人もいないとして、
市の中の虎
と例えました。
この例えは、出典は中国の古典からの引用のようですが、
本当はそんなもの存在していないのに、
言葉だけが先走って
だれもが信じてしまっているもの
を表しています。
誰かが、本当はいないのに、市場に虎が出たと触れ回り始め、それを聞いた何人かが拡散すると、
もうそれを多くの人が本当だと思い、大慌てになる。
オオカミ少年の話のようなものでしょうか?
現代でいうとSNSなどで知った情報が拡散されて大きな勢力となるようなものでしょうか?
伝教大師は、戒律・戒律というけれど、それは言葉ばかりで完ぺきに守っている僧侶は一人もいないとおっしゃったのです。
そして戒律・戒律と守ることに集中するのではなく、もっと実生活に仏教を、仏教信仰を根付かせる努力・活動をしていこうとおっしゃったのです。
これを末法無戒(まっぽうむかい)といいました。
修行者は戒律を守ることに専念するのではなく、教えを学び、人々に伝え、安心立命を与えることの方がよっぽど大切としたのです。
日本の仏教の一つの特徴です。
鎌倉新仏教の祖師たちは、みな、この傾向が強いと思っています。
そして
坊主である・なしにかかわらず、
教えを学び、実践することで、
この世をより良く生きていくため(死後の救いも含めて)の
安心が得られるとする
仏教が日本に根付いたのです。
これをやれ、
あれをするなと
規制をかけて
人を育てるのではなく、
その人の心に働きかけて、
自ら気づき、成長するように促す方法をとったといえるかと思います。
お題目信仰を伝えるだけで、
こうしろ、ああしろと信仰される方を縛らず、
自ら気づきを得て安心を得てもらう。
こういう活動ができたらと当教会では考えています。
…まだまだほど遠いですが…(苦笑)