仏教とは、私たち凡夫が仏になるために説かれた教えです。迷い・苦しみに苛まれている私たち凡夫が、その迷い・苦しみから解放され、心穏やかに人生を歩み、最後まで全うできるようにと説かれたものなのです。
今のお寺は、葬式や法事などの宗教儀式の執行がメインのようになっていますから…、多くの人がいろいろと思う所があるようになってしまったのでしょう。
でもとにかく、仏教とは上に書いた目的を達成するために存在しているのです。
日蓮大聖人は、法華経信仰こそが、この目的を唯一達成できるものだと布教しました。これは他(法華経以外)の信仰では成仏は叶わないという主張でもあります。
排他的に思えるでしょうか?信仰を持つということは、例えるならば、結婚して家庭を持つようなものかもしれません。結婚は、この人と決め、この人とこれからの人生の苦楽を共にしようとされるものだと思います。人はこの世にたくさんいますが、この人と、人を限定するわけです。
信仰も同じ。たくさんある中から、納得して選んだならば、それを貫き通す。こういう性質のものだと思うのです。
日蓮大聖人の法華経に対するご信心は、凄いです。本当に!
…ほぼここに書いた内容に重複しますが、拙いお話を懲りもせずアップしました。お暇な時のお耳汚しに(拝)