私たち人間の一番の恐怖は、自分がこの世からいなくなること、つまり死でしょう。これ以上の恐怖はない!と思います。
どうでしょうか?
この恐怖に対処するために宗教の教えがあり、救いがあるのでしょう。こういう一面が必ずあると思っています。
でも宗教によってその対処法はそれぞれ。
よほど支離滅裂なことを説いているものは別として、どの宗教の対処の仕方にも正解などなく、自分の考えとしっくりくるかどうか?が信仰をするしないを分けているように思います。
日本のように、先祖代々〇〇宗だからと割り切る?こともあるでしょうが…。
私は、大聖人の教えを学び、坊主として生きています。一昨年、母の死を体験して、死後自分はどうなるのか?ということに私なりの答えを出すことができるようになりました。自分の信じるものがはっきりしてきたというのでしょうか。
以下は私が信じていること。
人は死んだら49日間、魂となってさまよい、自分の一生を振り返る期間を持ちます。この期間ではどんな小さな記憶もはっきりと思い出されます。良いことも悪いことも。そして素直に自分の功罪を認められるとします。49日目、閻魔大王様は、素直に反省してきた魂に問います。「君の一生はどうだったか?本仏様のお悟りに少しでも近づけるように生きたか?」と。そして魂は答えます。その答えに見合った場所に閻魔大王様は魂を生まれ変わらせます。
生まれ変わったといってもすぐというわけではありません。生まれ変わるのは一周忌の時。49日明けから一周忌までは、約十月十日。人が胎児として過ごす期間と一緒。この期間に生まれ変わる世界に耐えられる体を得るのです。
こうして一周忌の時、新しい世界に生まれ変わり、新しい生を始めるのです。
こう信じるようになりました。
家の母も、一周忌が先日終わりました。きっとどこかで新しい生を始めたのではないかと、こう思っています。
そして前の人生より良い人生を過ごせますようにと、年回忌法要を行うのだと思っています。年回忌は、新しい世界で生まれ変わった、まだまだひ弱い姿の恩人が無事に成長していくようにと陰ながら祈るもの。こう思っています。
もしかしたら…、街で見かける小さな命は恩人たちの生まれ変わった姿かもしれませんね。
こういう生まれ変わりは、魂が本仏さまのお悟りと同化するまで続いていきます。…生まれ変わるたびに、このことを忘れてしまうのですが…。
正しい答えなどあろうはずはないですが、私はこのように思うようになりました。有縁の方々にもこのように伝えるようにして、考えてもらうようにしています。
こう信じてみると、…私は次の人生(来世)も間違いなく、生まれ変わって修行となるのでしょうね…。