先日、親を亡くされた60代の方とお話ししました。
すると
「親は亡くなる前まで、自分のことを心配していた。もうこんな年齢なのにね…」と
おっしゃっていたのです。
そして
「亡くなった後に気づいたよ。これがどんなにありがたいことかを」
とも。
私の母も同じでした。
ずっと心配されていたと思うのです。
そしてそれが嫌で、
つまり
いつまでも子供だと思われることが!
でも
自分が親の立場になれば
おそらく子供には同じように接するのでしょう。
子供が何歳になっても。
…なんだか矛盾していますね。
法華経には
永遠の命を持っているはずの本佛・お釈迦様がなぜこの世を去ったのか?ということへの説明に
自分(本佛・お釈迦様)がずっとお前たち(弟子・私たちでもある)の近くにいると知ったならば、お前たちは私に頼りきりになり、自分を磨こうとしなくなる。
修行はお前たちが行い、結果を得るものなのに、私に頼りきりになって修行をしなくなるのでは本末転倒。
だから自分は永遠の命を持っているがお前たちの前から姿を消して、見守ることにした。
こう説かれています。
親がいるとなにかと頼ってしまうものです。甘えてしまうものです。
親子とはこういうものなのでしょう。
命は有限。
この悲しい現実も
立派な教えなのですね。
悲しみと
後悔と
いろいろな感情と
背中合わせで…。
今日は母の月命日。
思ったことを書いてみました。