勝った、負けたで終わるのかね???

最近、金曜に放送されるプロレスにはまっています。倒れても立ち上がり、相手に負けまいと奮闘する姿に感動すら覚えます。

きっと日々過酷なトレーニングを積んでいるのでしょう。プロレスラーのあの体を見れば分かります。

それ首が折れてしまうのではないか?と思わせる技がでても、しっかりとお互いがかけ方・受け方をマスターしているのでしょう。絵になります。ハラハラしつつ、さすがプロとうなってしまいます。

勝負がしっかりとつく、こういうものは見ていて本当に楽しいなと感じています。

でも何でもかんでもが勝負のつくものではないでしょう。ものによっては勝負に持ち込んではいけないものだってあるでしょう。

例えば、家族間のいざこざ。お互いの主張が食い違い、法律のお世話になることも多いと聞きます。これのお世話になれば白黒はっきりするのでしょうが…、家族のその後の関係は崩壊してしまうでしょう。それでいいんだ!と思う人もいるでしょうが、なんだかもったいないと思うのは私だけでしょうか?

周りへの影響が大きい争いも考え物です。この争いにより周りが甚大な被害を受ける可能性があるならば尚更です。このような争いの場合、どうかプロレスのようなフィジカルを押し出すものではなく対処したいものです。

宗教は「信じること」を教えるものです。疑いから入るのではなく、まず信じること。こう説きます。

現代のような慌ただしい時代においては、なんだか危なっかしく思うことでしょう。それでは悪い奴らに騙されるだけだと心配になるでしょう。

でも疑い始めたら、それはそれで大変ではないでしょうか?例えば、街を歩く時、周りのものが凶器をもっていていつ襲ってくるか分からないと考えたら、出歩くことは出来ないでしょう。

無差別に人を襲うという事件がないことはないのです。だから街を歩くのは危険だと思っても不思議ではありませんが、多くの人はそうは思わないでしょう。こんなこと思っていては生活に支障がでますから。

信号を無視して突っ込んでくる車もあります。この事実を見て、信号は信用ならないとすることもできるでしょう。多くの人はしないと思いますが・・・・。

世の中、暗黙の了解というのがあり、それには多くの人は信頼を置いているのではないでしょうか?

世の中を見渡すならば、皆、疑うよりも信じることの方は多いのではないでしょうか?何かを疑い続けるってとても大変なことだと思うのです。

何か相手と摩擦が生じたとき、自分と違う意見のものを疑ってすぐに敵とみなさず、粘り強く接するようになりたいものです。なかなか骨が折れることではありますが…。

スポーツやプロレスならば、勝った負けたで見ていて楽しいものです。でもこういう勝負事だけではないのが世の中でしょう。自分の身近な所から、疑うより信じるという宗教が説くことを実践に移していきたいと思う今日この頃です。

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