今日で彼岸が終わりです。
ご先祖様へのご報恩はお済でしょうか?
私もこの期間、
自分のご先祖様をはじめ、
ご信者様、
有縁の方々などの
ご先祖様のため
ご供養をさせていただいたのでした。
ご供養している時、
やはり一番思い出されるのは
一昨年亡くなった母のこと。
先代(父)は私が16の時亡くなり、
その後もずっと迷惑をかけ続けてしまった、、、かと。
大変だったのではないか、と。
今では素直に思うのです。
思えば、
寺に生まれたのに
坊主になる気などさらさらなかった子供時代。
先代がなくなり、
葬儀が済んだその次の日から
母が本堂でお経を唱えだしたのです。
毎日決まって、6時半から!
たどたどしいのです。
素人なのです。
・・・でもとても一生懸命なのです。
苦しみや
不安、
こういったものをどうにかしたいと
お経を読んでいるのです。
お世辞にもうまくないのですが…、
それでも
見ていると、聞いていると、
心に、気持ちに
思いが伝わってくる。
こんなお経を
高校時代に
毎日聞かされ、
さらさらなる気がなかった坊主になってしまったのです。
母のこの時期の読経が、
たどたどしく、
素人臭く、
技術的には何も見るべきものがない
この読経が
私の坊主としての原点。
いまではこう思っています。
そしてまだまだ全然追いつけていない…とも。
確かな思いは、技術を凌駕する。
きっと
信仰というものは、
苦しみとか
悲しみ、
辛さ、
不安
などなど、
このような負の感情があって、
これをどうにかしたい!
どうにかしなければ!!
と思って、
仏神に向かい合うとき、
本当に始まるものなのでしょう。
私が坊主として帰ってきた後も
母は死ぬまで
仏壇と外の水子地蔵様に手を合わせるのをやめませんでした。
確かな信仰を得たのでしょう。
供養とは
故人のことを思い出すことでもあります。
だから彼岸に際し、
私も母を思い出してみたのでした。
皆様も恩ある故人を思い出してみてはいかがでしょうか?
きっと良い供養になりますから。
それにしても、…月日の流れるのは、ほんとに早いものですね。。。