仏様のお像を見ると、よく蓮の花の台(蓮台)にのっています。
これは蓮の花が泥沼の上で、汚れることなく美しく咲いているから。
泥沼とは、良いことも悪いことも起こるこの世の例え。
泥沼のような世界に生きながら、決して流されず、美しく咲き誇っているのが仏様。
悟りというものです。
反対に私のようなものは泥沼に溺れている…。もがいている…。
迷いというものです。
悟ろうが迷おうが、生きる場所が泥沼なのは変わりないのに…。
良いことだけが起こることはないし、
悪いことも同じ。
どちらも起こる。
泥沼の世界。
こう思った時、
こう気づいたとき、
では自分はどうしよう?
となるのでしょう。
泥沼に溺れたままでいるか?
このままでいいのか、
それとも
突き抜けて美しい蓮の花を咲かすか?
と。
仏道の修業は、後者なのですが…。
日々、溺れたままでいる自分です…。
50年近くも。。。