不可思議

妙とは不可思議なり

天台大師という高僧のお言葉です。

妙とは、分からないという事だ

とおっしゃったのです。

分からないことを分からないと素直になる。

これが大切だと教えているものと理解しています。

その上で

ではどうするか?

が問われるべきだと。

現代では

統計的な思考や

科学的なアプローチで

未来のことが

ある程度予測できるようです。

天気予報などは

毎日、降水確率何%と教えてくれ、

それに従って

傘を持っていくかどうかを決めていたりします。

頭のいい方々が

その能力をいかんなく発揮され、

私たちに未来の方向性を示してくれています。

ありがたいことです。

こうするといいといっていただけると、安心できますから。

私たちの分からないことを

分かるようにしてくれている。

本当にありがたいことです。

しかし!!

それでも天気予報が当たらないこともあります。

株価が上がるとか上がらないとかも、

正確に、完ぺきに方向を当てることは不可能でしょう。

知識が発達して、未来をある程度予測はできるようになってのはありがたいことですけど、

完ぺきにできないという意味では、

やはり

未来のことは分からないのです。

こう思います。

だから

分からないことを分からないと素直になる

妙とは不可思議なり

という教えはまだ有効だと考えています。

そして

分からないのだから、

未来のことをあれこれ思い過ぎず、

つまり

過度に不安になったり、

過信したりせず、

今やれることをしていく。

それが分からない未来に続いてるのだと信じて。

このように生きたいなと思うのです。

新年度が始まり、不安も多いことでしょう。

妙とは不可思議なりと知り、

今を一生懸命にしてまいりましょう。

この延長線に良いことが待っていると信じて!!

法華経の教えとして、少しだけ書いてみました。

ご参考にしていただければ、幸いです。

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