遊びでやった些細なことでも

繰り返しの効果、とでもいうのでしょうか?

ほんの些細な気持ちで行っていることでも、

これが行った本人に及ぼす影響はすごいものです。

たとえば、

知らず知らずにやっている習慣。

いわゆる、癖ですが、

この癖を他人から指摘されて

恥ずかしい思いをした経験がある方も多いのではないでしょうか?

法華経の中にこんな経文があります。

ないし童子の戯れに もしは草木及び筆 或いは指の爪甲(つめ)を以て 画いて仏像を作(な)せる。

かくの如き諸人等 漸漸に功徳を積み 大悲心(だいひしん)を具足す

法華経方便品第二

子供が意味も分からず、遊びで仏様の絵を地面などに書いてみる。

このような些細なことでも、続けていくと徐々に、少しずつ知らず知らずに仏様の御心を宿すに至る

というのです。

専門的には「小善成仏」という教えです。

どんな些細な理由でも、

それに今はたとえ意味を見出せなくても、

仏教に触れる行為(子供が遊びで仏様の絵を描くなど)はすべて

御仏とご縁を持つ良縁ととらえ、

続けていけば

いつの日か仏様の御心を受け継げるのだ、と。

このように説いているのです。

まずは冗談のつもりでも…

遊びのつもりでもいいから…

南無妙法蓮華経と意味も分からずとも唱えはじめる。

続けていけば、

どこかで自分なりの意味を獲得し、

無くてはならない確かなものになっていくはずです。

そして

最後には仏様の御心を獲得するに至るのでしょう。

まずはやってみる。

これが大切なのでしょうね。

こう考えると、私は、お寺に育ったという良縁を得ているのですね。

気づくのがずいぶん遅いかもしれませんが(苦笑)

1
0